今回の震災で日本の経済はどうなってしまうのだろう。経済にとんと疎い俺が、ない知恵絞って考えてみる。
いきあたりバッタリかきながら考えていきます。
まず、もともと東北が産地であるモノが、不足するんだろう。そして、それを原材料とする加工業とかが滞るんだろうな。
Wikipedia で適当に調べると、
青森 : 漁業、農業、林業が盛ん。原発、火力発電所、製紙工場なんかもあるとのこと。自衛隊基地、米軍も。
岩手 : 穀物・畜産業。水産業。トヨタ、東芝、富士通、シオノギの工場。
宮城 : 漁業、農業、米作。仙台港は国際貿易港。
秋田 : 米作、木材業。精密機器製造業。
山形 : 稲作、農業、養豚。
福島 : 水力発電所、農業、水産業、畜産業。電子機器関連の製造工場も多い。
ざっとこんなカンジらしい。
まあ Wikipedia なんで、最新 & 網羅は、あまり期待できないですけどね。
あからさまな嘘はそんなに載ってないと思うけど。
とすると、農業・水産業は、滞るわけですね。
しかし、俺思うに、農業や水産業というのは、西日本なんかでも賄えるといえば賄えるもんなんではないのかな ?
東北でしか獲れないモノ「も」あるんだろうけど、稲作は東北以外の日本のどこででも絶対不可能である、とかさ、そんな話聞いたことない。
一時的、短~中期的には東北からの供給が途絶えることにより停滞するんだろうけど、代替生産地が西日本から自然と選ばれてくるんではないのかい ?
もしかしたらそれは、一流だった東北産品に較べたら二流かもしれないけどね。
でもそれって、こういっちゃ悪いけどさ、「心情的に残念」を超えるものではないよね。
「ひとめぼれ」の産地が壊滅してしまったからといって、べつに俺らが以後米食そのものを諦めねばならないわけではないんだから。
引き続き国産米は食えるんだから。
タイ米しか食えないわけじゃないんだから(タイ米懐かしいね)。
林業と製紙業が被害を受けることで、紙メディアに影響が大きいだろうね。
もしかしたら、これを機に印刷業なんかは衰退のスピードが速まるかもしれない。
より正確にいうと、印刷業・出版業に対する資源の無駄遣いという世間の監視の目が厳しくなり、それと同時に、印刷・出版の代替としての電子メディア関連産業への移行が『経済合理性以外の後押し気風がプラス』されることでより勢いづく可能性がある。
ただ、これはつまり、メディア産業、コンテンツ産業、電子機器製造業にもダイレクトにかつグローバルに影響してくる話なので、彼らにとっても Win があるようなスキームおよびタイミングにならない限り、一気に情勢が動いたりはしないんではないかと思う。
電子機器に関しては、つまり、電子ペーパとかの新テクノロジの実用化が急速に活発化するということはないだろうということ。
てことは、今ある一般電子デバイスが、メディアの器にならざるを得ないということですね。
それはつまり、Kindle であり、iPad であり、その他スマートタブレットだということだ。
Kindle にしろ iPad にしろまだ発展途上だと思うんだけど、でも、あれらを破壊的に進化させるような投資はもうちょっとしばらくの間は望みにくいということだ。
漸進的進化に止まる、ということだな。
そういうデバイスのうえで、今までも電子メディア化は不可逆の流れとして進行していたわけだけども、これからはその流れが速まる。
ただなあ…iTunes 以降の電子デバイスというのはサービス端末だからな。
iTunes で上流コンテンツ(要するにハリウッド)をおさえ、App Store で下流コンテンツ(個人製作のアプリ)をおさえたアップルが、さらにダメ押しとして iPhone / iPad を保持している今、彼らに足りないのは、強いて挙げてジャーナリズム機能ぐらいのもの。
そのジャーナリズム機能も、ジャーナリズムメディアに iAd というマネタイズスキームを与えてあげたことで、彼らを安心してアプリ化という軍門に下らせる道筋を整えてあげてある。
ハッキリいってアップル磐石なのよね。
報道は、能動的に取りにいく時には iPad。
受動的に受け取る時には TV。
取材機能は相変わらず新聞社と TV 局に。
これの委譲はおいそれとは進まないでしょう。
で、そうであるが故に、新聞もまだ今のところはつぶれない。
紙の新聞紙も残る。
いずれはアメリカ式に、電子メディアに飲み込まれることは避けられないけれども、アメリカより若干長命なはず。
しかし。
それ以外の紙メディアがたぶん大幅に淘汰される。
半ば強制的に。
雑誌、実用書籍類は電子メディア化が進展するでしょうね。
以前から進展させたかった人達にとっては好機。
フォーマットは三つ。
汎用 Web フォーマットか、スマートタブレット用か(iOS 用か Android 用かはこの際不問)、GALAPAGOS 用か。
三つ目は冗談かと思われるかもしれないけど、「日本復興」が時代の趨勢になるのなら、経済ナショナリズムに訴えて一定の存在感を得るという可能性はあり得ますよ。
GALAPAGOS 陣営に、流通のメジャープレーヤである CCC が入っている、というのがダークホース的な役割を演じることになるかもしれません。
ただ電子コンテンツの、帯同広告によるマネタイズはお話にならないぐらいスケールが小さいわけなのですが、逆にいうと、そこにこそ、広告エージェンシーの競争の余地もある。
ここ数年の YouTube の涙ぐましいほどの新広告商品企画開発トライ & エラー、あれ並の競争が、電子コンテンツ周辺市場において行われるのでしょうね。
この領域はビジネスとして有望だと思いまっせ。
紙の用途としてトレペやティッシュ、おむつなどが挙げられるが、これら衛生用紙はやはりそうそう大幅節減ができるものではないので、これが最優先されることになるだろう。
そして、衛生用紙、印刷用紙以外の大きな紙の用途として最後に挙げられるのが、オフィスドキュメント用紙だ。
ここもまあ、ペーパレス化への移行の機運が多少は高まるだろう。
現実的にそう上手くいくとはなかなか思えないが…
ここはまあ、国が方針を示すか否かにかかっていると思うし、仮に行われても、ペーパレス化の具体ソリューションとしては結局情報端末ということになるので、需要が発生するのは IT 業界のみでしょう。
スキャニング、OCR、プロジェクタ、スマートタブレット、グループウェア、ナレッジマネジメントシステム、イントラサーチエンジン、EIP、CRM ツール、ストレージ、クラウド、バックアップソリューション、CIO、セキュリティベンダ、etc...
ま、IBM から Evernote まで、ってところですな。
なんつっても発電所がたくさんある地域ですので、これが影響を被るってわけで、今から、この 3 月はなんとなく関東民の節電努力で計画停電レベルで間に合ってるけど、夏はどう考えても無理だべ !? という声が飛び交っているわけです。
電気っつうのはそもそも、電力のために発明されたのではなく灯りのために発明されたわけで、つまり、電気が不足 ≠ 電力を使う仕事ができない で、電気が不足 ≒ 日が沈んだら生産もサービスも消費も移動も何もかもできなくなる ということなんですね。
日本人の稼動時間が絶対減少するってことですから、こりゃ大変です。
一方で、原発以外の電力創出の有効手段というのは今のところありません。
火力発電所は、全国中の休眠施設も含めて早急にフル稼働させるということのようですが、それは大変望ましいことですが、原発を失った分のリカバーには残念ながらなりません。
かといって追加で新造するには数年かかります。
他、地熱発電と風力発電は土地利権という強大な敵が待ち構えていますので、大変残念ながら期待はほとんどできないでしょう。
水力発電も、原発と同レベルのヒステリックダム反対派がいますので難しいです。
太陽光発電は、現時点ではコストパフォーマンスが悪すぎます。
とてもエコなイメージがあるのですが、逆の意味でそのとおりで、エコだというだけが長所で、供給規模は小さすぎます。
となると、個人的な想像ですが、やっぱり、使用電力を、半強権発動で大幅制限するしかないような気がするんですね。
レジャー産業を筆頭とする広義のエンタテインメント産業は総量規制受けても止むを得ないと思うんだけどな。
遊園地、大規模コンサート、大規模演劇、大規模映画、大規模ショー、夜間スポーツ、ネオン、ショールーム、ライトアップ、イルミネーション、遊技場、大規模 TV 番組…
ギャンブルは利権が大きいのでメス入れるのは難しいだろう。
ピーク消費を下げるため、工場という一番電力消費の大きいところに夜間操業を義務づけるなんて案も Twitter では出ているそうです。
いいんじゃないかな。
疎開で西日本に移動できる人はさておき、民間企業や国の機関を分散移転させるという案には個人的には賛成できない。
災害に強い国家運営のために~という中期的運動ならいいんだけど、今の一番の眼目はあくまで電力節減と経済活動キープ。
機関を移すってことはその機関に労働力・生産力を供給する人(ありていにいえば従業員・職員ですね)も移らねばならない。
人が移るってことはその人が労働に勤しむことを可能とする「労働のインフラ」が付帯移設されなければならないということ。
「労働のインフラ」とは即ち、生活、衣食住のことです。
それはかかりつけ医だったり、近隣の買い物先についての知識だったり、育児を手伝ってくれる近隣の義母の存在だったり、変なこといえば、方言の理解力でさえそこに含まれていたりするわけです。
そういうものが全部ゼロクリアされてしまっても、人間は、職務に就いている時間に限っては、その就業地がどこであろうとまったく変わらぬパフォーマンスを出せる、などと考えるのは非現実的もいいところです。
夫の転勤について行ったら旧友が誰もいなくなってしまって辛くてノイローゼになりました~なんていう主婦の悩み相談、どこぞかで見たことあるでしょう。
その程度のことでまいってしまったりするもんなんです、人間なんて。
況して、そういう情緒的なことだけでなく、上記したような明快な「不便」があったら、仕事のパフォーマンスに影響が出るのなんか当たり前です。
近隣の義母が幼児預かってくれなかったことで夜中寝不足になり、工場の大事な早朝勤務で寝ぼけて旋盤で指切ってしまった、なんて因果、全然あり得るわけです。
職場の上長の訛りがキツくて注意を理解できなかったため、顧客に迷惑かけた、とか、全然あり得るわけです。
こういう混乱は、時間をかけて吸収していくしかありません。
そして、この、電力節減が喫緊の課題になっている今、そんな悠長なことをいっている暇はありません。
正しいけれども悠長、それじゃダメ。
5 年前に日本が知識産業主導の国になっていりゃあ、まだ話は違ったかもしれません。
知識供与とか情報取引っていうのは、それそのものが、テレワーク・ノマドワークというスタイル進化への希望を含んでいますからね。
でもそれは、現時点では製造業が経済の牽引役であることが明白なこの国においてはあくまでたらればの話に過ぎません。
医療施設や街灯は、安全保護のために電力を消してはならないところです。
街灯は判るよね、レイプ防止。
あと意外だけど冷房も禁止一辺倒はまずい。
真夏の熱中症の危険があるから。
通信も決して止めてはダメ。
今回の地震で判ったとおり、通信インフラは今の時代、ほぼ全国民レベルでもはや生存権のキーになりかけてます。
スマトラに倣えば、今後一年間は念のため余震を警戒してなきゃならないんだし。
交通事故死者を増やしてる場合じゃないから、交通インフラも止めてはならないところです。
交通網が寸断されるってことは物流が迷惑被るってことですからね。
物流の先には、人の生活物資の逼迫がある。
物資の逼迫はそのまま人の生存権の危機に直結する。
ただ、念のために繰り返しておくけど、労働力でない人間は、可能な限り、西日本に疎開するべきです。
国が命令をするわけには、一応の民主主義国家では難しいだろうけど、でも、これは強く訴えたい。
あまり多くはないだろうけれども、現時点で既にテレワークが現実的な知識階級の人達も、なるべく移動してほしい
(知識階級だから少なくとも頭では既に判っているでしょうけどね)。
彼らの生活電力分を、比較的余裕のある西日本の電力会社圏に逃がせるのならそれに越したことはない。
そうして人が動くと、動いた先で衣食住を確保しなければならないから、そこは当面の狙いどころになるでしょう。
賃貸住宅市場、ホテル、マンスリーマンション、ペンシルビルなどのオフィス供給、シェアハウスマッチング情報サービス、etc...
そのままハイパーノマドスタイルに移行していく層向けにレンタルサービス事業者なんかも少々儲かるかもしれません。
「住」に関してもう一つ大きいのは、浦安で発生した地盤の液状化。
あれを目の当たりにした人達が、埋め立て地の不動産に対して NO! を突きつけるようになる可能性は高いです。
地盤の堅固な土地に対する強い需要が発生し、そこ(どこだか知りませんが)を中心に不動産業の中での取り合いが起こるようになるのでしょうね。
あと、追加でできるものなのかどうか知りませんけど、耐震強化工事とか。
追加でできないとなると全面リフォームかもしれません。
やはり建築業の活況が予想されますね。
施工業者だけじゃなく、建築関連の情報サービス業も盛り上がると思います。
ここらへんは、大手デベロッパから、住宅販売会社、町の工務店 & リフォーム業者、自営の建築士事務所まで、幅広く儲かりそう。
「衣」に対する自粛ムードがそんなに長続きするとは思えないんですが、でも、もし、今までラグジュアリーファッションの消費地が東京に集中していたんだとするならば、そちらの消費意欲回復はなかなか元どおりというわけにはいかないのではないかという気がします。
有名海外ブランドで日本市場展開を縮小する方向で織り込むところも早晩出てくるんじゃないかなという気がするけどな。
所得を減らしてしまった日本人の「衣」の部分を助けるのは恐らくユニクロをおいて他にないんじゃないかな。
今でも実質的に国民服だけど、たぶん、買う側が“ここの服は国民服だ”という意識を自覚的に持つようになると思う。
もしかしたら、その自覚には「ジャパン」の自尊心までもが付属してくるかもしれない。
となったら、あなた、ユニクロは中期的な将来、21 世紀のソニーになるかもしれないよ、ヘタすると
(国を代表するブランドということね)。
「食」に関しては、グルメではなく、安全性の面からのお取り寄せが活発になるでしょう。
ただ、今までの「お取り寄せ」はあくまで生活エンタメの文脈だったので、そうではない、もっと日常生活に必須オペレーションのお取り寄せというと…
俺は楽天とアマゾンに実現されてしまうような気がします。
オイシックスとかが楽天に買収されるなんていう流れもあるかもしんないね。
外食産業は、災害前から \380- 居酒屋なんてのやグルーポンが出現してたわけだし、その傾向は変わんないでしょ。
災害前と変わらず、バタバタつぶれると思います。
ただまあ、本題とズレるけど、耐震強度偽装や産地偽装はまたぞろ発生するんでしょうねえ…やれやれ。
精密機器製造なんかは、代替製造拠点をすぐつくるなんてわけにはまったくいかないわけだし、供給ペースが大幅に滞りはするものの、結局長い時間かけて元どおりになっていくんじゃないのかな。
その長い時間の間、もちろん負債は積み重なっていくわけだけど、そこはそれ、好むと好まざるとにかかわらずもう国策で資金を投入するしかないんだと思う。
それ以外に採れる方策はないでしょう、たぶん。
リーマン・ショック時に銀行を救済したようなものですよ。
もう詰みゲーやってるようなものなんだろう。
自動車関連産業は難しいですね。
裾野まで含めると本当に日本の屋台骨なので、「大きすぎてつぶせない」そのもの。
一方で、災害前から、エコカー減税というカンフル剤打っても中期的なダウントレンドは誰の目にも明らかだった。
それを「若者のクルマ離れ」「草食系男子」と揶揄するところまでで止まっていたので。
このクルマを取り巻く社会構造変化についての議論を一刻も早く再開しないと、とんちんかんな方向に投資が行われてしまう、とか、災害前と何ら変わらない、クルマ離れを直視しないマーケティングがただ続く、とかなっちゃいます。
もしそこで自動車会社が間違えて、衰退していってしまうとして、それを自業自得と呼ぶ余裕は日本にはないんですよ。
旅客・運送のヴィークルとしてのクルマ(と道)は国家のインフラそのものなんだ、ということを今回否応なく学ばされてしまったわけですから。
クルマがないなら○○でいいよ、は成立しないということを知ってしまったんですね。
なのに、「レジャーとしての移動」は訴求力を失い続けてきていた。
さらに、若年層は輪をかけてこれから貧乏になっていくので、購入のための余剰資金のひねり出しはもっと難易度が高くなる。
ここで、だから日本の若者は見捨てて、中国などでクルマを売ろう、という戦略を打ち出していたのは、今振り返ってみても正解だったと思うんです。
でも、ここにも別の問題が新登場してきてて。
いわゆる、燃料機関の選択です。
全世界的に原子力への忌避感が高まったこの世界で、果たして短期的に・中期的に・長期的にどんなエコカー技術を研究開発採用していけばいいのか。
ここを間違えたらとんでもないことになるでしょう。
技術戦略が産業自体の浮沈を握ることになると思います。
ここはもう、国家戦略の部分で、民間企業に勤める人間には手の出しようがない。
日本は公民ともに政治 / ロビイング / マーケティングがとにかく苦手だから、どうしても楽観視できないけど…。
道路とかの公共事業投資は増えるんでしょうね。
実際問題、輸送路確保というのはとても大事な国家資産だし、それは疑いないです。
でも一方で、そのための原資はいくらか…とか、その予算確保のために何を削らないといけないか…といったことに目を向けない愚選挙民が、際限なしの公共事業投資拡大を望み放題、という構図も容易に想像つきますがね。
うーん、日本が土建屋国家になるような気がしてきた。
閑話休題。
今回俺は「ショック・ドクトリン」という言葉を初めて知りました。
非常時を機に、大規模な改革案を社会にのませてしまう、という少々危険な方法論のことだそうです。
騒動の裏でこっそり~というのではなく、痛みを伴う改革を、理で説き伏せて半ば強引に実行する、ということのようですね。
日本も、21 世紀 90 年の計、とか何とか称して大胆な改革ストラテジを政治主導で提示する、なんてことに、もしかしたらならないでもないかもしれません。
もしそんなショック・ドクトリンが現実に行われ得るとしたら、その中身に、今回の災害を踏まえて入るといいかもしれない、と思うことがあります。
それは知識産業主導社会への転換ということです。
コンサルティングやソフトウェア、マネジメント、マーケティングで食う国です。
頭でっかちな国といいかえてもいいでしょう。
文系が巣食う国ともいえます。
モノづくりを捨てた国ともいえます。
でもそういう国のいいところは、Want より Must で動けることです。
モノづくりというのはロマンですから、自分の内心から生まれるロマンに従って肉体を動かし続ければ、極限までモノのクォリティを高めることができます。
それがこれまでの日本のモノづくりの競争力の源泉でした。
日本人はロマンティストであり、だから、個々人それぞれのロマンの追及・実行・行動を、社会が暖かく見守り、敬意を払ったのです。
他人が勝手にアサインした対象には、ロマンは内燃しません。
自分が選んだ仕事だから、泣き言をいわず、睡眠時間も削ってロマンティックにカイゼンし続けられたのです。
しかし、ロマンを解さない無粋な西欧の連中により打ち立てられた、効率と分担と指示と責務と実効とで因数分解された経済理論が日本のロマンを追い抜きました。
以後、日本は維新と敗戦という二つのモメンタムを通して、ロマンにエコノミクスをハイブリッドさせ続けてきました。
今回の災害の被害の極小ぶり、および復旧の速さに、そのハイブリッドの成果は出ています。
しかし、これからの復興フェーズにおいて、国力は既に下がっているわけですから、ここから、これまでと同等のハイブリッドを発揮しているだけでは底止まりです。
否、むしろ長期下落トレンドでしょう。
もう一回、ジャンプアップしなければならないのです。
災害はただの「一時的しゃがみ」に過ぎなかった、ということにしなければならないのです。
そのためには、方法論の刷新が必要です。
具体的に、俺が、こうなったらいいんじゃないのかなあ、と今妄想しているのは、「特区」制の強化です。
全都道府県どこにでも、第一次産業と第二次産業と第三次産業と観光地と研究機関と大学とが平均的にある、のではなく、この県には大学が集中している、とか、この地域は全体が自衛隊の居留地で一般民の生活機能はほとんどない、とか、スポーツ関連施設は温暖なこの一帯にかたまっている(雪国におくのは無駄が大きすぎる)、とか、ここは人を住ませず全域風力発電用にした、とか、そういうふうに、国土を目的別にフォーマットするということです。
ハードディスクみたいですが。
これをあくまでタブーと断じ続けて、誰でもいつでも好きなところに住んでいいよ、と自由を保障してしまっているから、豪雪地帯の山奥にお婆ちゃんが一人で住んでいて、彼女のために、近隣に郵便局を設置しなきゃいけなくて、そこに局員をおかなきゃいけないわけです。
こういう、低エコノミクスを、今まで日本はかなり許容してしまっていた。
ここにメスを入れないまま再ジャンプというのはできない、と俺は思います。
営利企業の内部では、ロマンとエコノミクスのハイブリッドがじわじわと行われてきていましたが、いよいよ、個々人の生活、個々人の暮らし、個々人の人生においても、エコノミクスの概念を導入してくれるよう、国がリーダシップを発揮しなければならないのだと思います。
一気に導入してしまったら日本のよさが崩れてしまいますから、徐々にでいいんですよ。
ただ、青天井のロマン追求は、これからは我慢してくださいね、ということだけ理解してくれれば。
野球場を雪国におくのは無駄が大きい、ということを、情緒はさておき、事実として国民が認識してくれるようになれば、そこから徐々に国民の目は開けていく。
ああ、心情というものとの対比概念として、実利というものがあるのだなあ。
そしてこの二つは、残念ながらトレードオフなのだなあ。
しかしそのトレードを一度やってみたら、なるほどこういうリターンがあるのかあ。
この種のリターン(A)を得るために、かつて得ていたリターン(B)を失ってしまったけれども、しかし、冷静になって考えてみると、リターン(A)ってのもありがたいもんだなあ。
リターン(B)に対する郷愁は強いけど、まあ、いい思い出にしといてもいいかなって気もしなくもないな。
こうして、最初はショック・ドクトリンでしかなかったものに、いつか納得感が生まれ、それが次なる改革の種になる。
モノづくりは日本人の DNA だ ! と思ってきたけど、もしかしたら、その想いのうち 1/3 ぐらいは個人的ノスタルジなのかも。
もし本当にそうなんだとしたら、俺の個人的ノスタルジでこの国という船を、次世代の子供達込みで沈没させてしまうわけにはいかないな…。
このようにして、日本は知的資本を戦略的に前面に押し出すことの有用性を体感的に理解します。
それが、有事にも負けにくい、リスクを最小化した、ハイブリッド日本 2.0 の姿ではないでしょうか。
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